2015年4月6日月曜日

ジュピター















★★★

アンディ&ラナ・ウォシャウスキー姉弟によるオリジナルのSFアクション大作。宇宙最大の王朝に支配されている地球。家政婦として働くジュピターは、何者かに襲われたことをきっかけに、自身がその王朝の王族であることを知る。王朝ではバレム、タイタス、カリークというアブラサクス家の3兄妹が権力争いを繰 り広げており、それぞれが自身の目的のためジュピターを狙っていた。ジュピターは、遺伝子操作で戦うために生み出された戦士ケイン・ワイズに助けられなが ら、アブラサクスの野望から地球を守るために戦いに身を投じていく。ケイン役に「G.I.ジョー」のチャニング・テイタム、ジュピター役に「ブラック・ス ワン」のミラ・クニス。ジュピターを狙うバレム役には「博士と彼女のセオリー」でアカデミー主演男優賞を受賞したエディ・レッドメインが扮している。ウォ シャウスキー姉弟にとって原作のないオリジナル作品は「マトリックス」シリーズ以来で、初の3D作品。
(http://eiga.com/movie/78098/より) 

「筒井康隆コレクション」という、彼の絶版になった著作を編むアンソロジーが刊行されている。その第1巻に『SF教室』というジュブナイルに向けてわかりやすくSFを解説した本が収められていて非常に興味深い部分があったので引用する。

アメリカSF界では、この一九三〇年代を 、ふつう「スペース・オペラの時代」という。映画の西部劇をバカにして“ホースオペラ”というように、スペース・オペラとは、西部劇をただ宇宙に持っていっただけのSFという意味。
人びとが「SF」といえば、それは、アメリカの安っぽい雑誌にたくさんのる、くだらない宇宙小説のことだった。
SFがこの汚名を返上するには、それからなんと二十年以上もの年月がかかったのだ。
SFに詳しくない 僕には衝撃の文面だった。この本では「スペース・オペラ」がSF内では蔑称とされているということになっている。
以降も膨大な作家と作品名を紹介しながらSFの歴史を紡いでいく筒井康隆の知識量にも圧倒されるが、気になる方は各自購入の上読んでもらうことにして、本題である。

昨年なら『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』がこのジャンルに当たるのだろうが、確かに馬鹿馬鹿しさ満載の映画だった(もちろんいい意味で)。筒井は作中で「現代の科学技術の延長線上にある設定で、書き手が確かな知識を持ち、人間をしっかり描くこと」をSFだといっている。
それも一理あるがもう少し肩を抜いて楽しんでもいいのでは……?と個人的には思ってしまう。

そんなこんなで長い前段になってしまったが、ウォシャウスキー姉弟の待望の新作も「スペース・オペラ大作」といわれるジャンルの映画になるだろう。しかも非常に退屈な類の。

スペース・オペラを「西部劇の設定を宇宙に置き換えただけのジャンル」とは言いえて妙で、本作も一見壮大なスケール感で描かれているが、身もふたもない言い方をすれば単なるセレブのお家騒動なわけで、非常に少女漫画チックな展開だ。
主人公の持つ血筋の利権を巡って、3兄妹がそれぞれ迫ってくるのだが、ご丁寧にそれぞれの罠に主人公がハマってしまい、「助けて!」と叫ぶと即死必至のセキュリティを破ってナイト様が駆けつけてくれる…ということを3回繰り返すだけの映画だ。

この映画では地球は宇宙最大の王朝が支配する“農場”に過ぎず、人間はその王朝のための養分として収穫されてしまうのだが、そこに現代社会に置き換えたテーマなどはなく、悪役が去ったらなんとなくなかったことにされてしまったりと、脚本が非常に雑。
マトリックスも正直ぶっ飛んだ設定だったが「もしかしたら自分もカプセルの中で眠っているだけかも…」 と思わせる説得力があったが、本作を観ても「俺も宇宙人の養分に過ぎないのかもしれない…」とは小学生でも思わないと思う。
それくらい敵はマヌケだし、物語に魅力がない。

宣伝文句からして、「映像体験」ばかりを推しているのでストーリーは二の次なのかもしれないが、肝心の映像もアイデアや造形には驚かさせられるが、2時間も観ていると食傷気味になってしまう。
やっぱり物語そのものに求心力あってこそなんだろうなぁ。

壮大な作品の割に2時間ちょっとの時間でおさめてきているのも駆け足になった要因なのかも。
なんか続編も出そうな終わり方だったけど、普段映画をあまり見なそうなカップル客ですら「映像だけだねー」と話していたので安牌なデートムービーとしても機能しなそうな1本。

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