2015年4月6日月曜日

ジュピター















★★★

アンディ&ラナ・ウォシャウスキー姉弟によるオリジナルのSFアクション大作。宇宙最大の王朝に支配されている地球。家政婦として働くジュピターは、何者かに襲われたことをきっかけに、自身がその王朝の王族であることを知る。王朝ではバレム、タイタス、カリークというアブラサクス家の3兄妹が権力争いを繰 り広げており、それぞれが自身の目的のためジュピターを狙っていた。ジュピターは、遺伝子操作で戦うために生み出された戦士ケイン・ワイズに助けられなが ら、アブラサクスの野望から地球を守るために戦いに身を投じていく。ケイン役に「G.I.ジョー」のチャニング・テイタム、ジュピター役に「ブラック・ス ワン」のミラ・クニス。ジュピターを狙うバレム役には「博士と彼女のセオリー」でアカデミー主演男優賞を受賞したエディ・レッドメインが扮している。ウォ シャウスキー姉弟にとって原作のないオリジナル作品は「マトリックス」シリーズ以来で、初の3D作品。
(http://eiga.com/movie/78098/より) 

「筒井康隆コレクション」という、彼の絶版になった著作を編むアンソロジーが刊行されている。その第1巻に『SF教室』というジュブナイルに向けてわかりやすくSFを解説した本が収められていて非常に興味深い部分があったので引用する。

アメリカSF界では、この一九三〇年代を 、ふつう「スペース・オペラの時代」という。映画の西部劇をバカにして“ホースオペラ”というように、スペース・オペラとは、西部劇をただ宇宙に持っていっただけのSFという意味。
人びとが「SF」といえば、それは、アメリカの安っぽい雑誌にたくさんのる、くだらない宇宙小説のことだった。
SFがこの汚名を返上するには、それからなんと二十年以上もの年月がかかったのだ。
SFに詳しくない 僕には衝撃の文面だった。この本では「スペース・オペラ」がSF内では蔑称とされているということになっている。
以降も膨大な作家と作品名を紹介しながらSFの歴史を紡いでいく筒井康隆の知識量にも圧倒されるが、気になる方は各自購入の上読んでもらうことにして、本題である。

昨年なら『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』がこのジャンルに当たるのだろうが、確かに馬鹿馬鹿しさ満載の映画だった(もちろんいい意味で)。筒井は作中で「現代の科学技術の延長線上にある設定で、書き手が確かな知識を持ち、人間をしっかり描くこと」をSFだといっている。
それも一理あるがもう少し肩を抜いて楽しんでもいいのでは……?と個人的には思ってしまう。

そんなこんなで長い前段になってしまったが、ウォシャウスキー姉弟の待望の新作も「スペース・オペラ大作」といわれるジャンルの映画になるだろう。しかも非常に退屈な類の。

スペース・オペラを「西部劇の設定を宇宙に置き換えただけのジャンル」とは言いえて妙で、本作も一見壮大なスケール感で描かれているが、身もふたもない言い方をすれば単なるセレブのお家騒動なわけで、非常に少女漫画チックな展開だ。
主人公の持つ血筋の利権を巡って、3兄妹がそれぞれ迫ってくるのだが、ご丁寧にそれぞれの罠に主人公がハマってしまい、「助けて!」と叫ぶと即死必至のセキュリティを破ってナイト様が駆けつけてくれる…ということを3回繰り返すだけの映画だ。

この映画では地球は宇宙最大の王朝が支配する“農場”に過ぎず、人間はその王朝のための養分として収穫されてしまうのだが、そこに現代社会に置き換えたテーマなどはなく、悪役が去ったらなんとなくなかったことにされてしまったりと、脚本が非常に雑。
マトリックスも正直ぶっ飛んだ設定だったが「もしかしたら自分もカプセルの中で眠っているだけかも…」 と思わせる説得力があったが、本作を観ても「俺も宇宙人の養分に過ぎないのかもしれない…」とは小学生でも思わないと思う。
それくらい敵はマヌケだし、物語に魅力がない。

宣伝文句からして、「映像体験」ばかりを推しているのでストーリーは二の次なのかもしれないが、肝心の映像もアイデアや造形には驚かさせられるが、2時間も観ていると食傷気味になってしまう。
やっぱり物語そのものに求心力あってこそなんだろうなぁ。

壮大な作品の割に2時間ちょっとの時間でおさめてきているのも駆け足になった要因なのかも。
なんか続編も出そうな終わり方だったけど、普段映画をあまり見なそうなカップル客ですら「映像だけだねー」と話していたので安牌なデートムービーとしても機能しなそうな1本。

2015年1月3日土曜日

インターステラー

 
★★★

「ダークナイト」「インセプション」のクリストファー・ノーラン監督によるオリジナル作品。世界的な飢饉や地球環境の変化によって人類の滅亡が迫る近未来 を舞台に、家族や人類の未来を守るため、未知の宇宙へと旅立っていく元エンジニアの男の姿を描く。主演は、「ダラス・バイヤーズクラブ」でアカデミー主演 男優賞を受賞したマシュー・マコノヒー。共演にアン・ハサウェイ、ジェシカ・チャステイン、ノーラン作品常連のマイケル・ケインほか。「ダークナイト」や 「インセプション」同様に、ノーラン監督の実弟ジョナサン・ノーランが脚本に参加。撮影は、これまでのノーラン作品を担当していたウォーリー・フィスター が自身の監督作「トランセンデンス」製作のため参加できず、代わりに「裏切りのサーカス」「her 世界でひとつの彼女」などを手がけて注目を集めているホイテ・バン・ホイテマが担当。(http://eiga.com/movie/78321/より)

ホラーに限らず、大画面で観る怖い映画が非常に苦手だ。
特に宇宙ものは非常に怖さを感じる。恐らく小さい頃観た『エイリアン』が心に根深く残っているのだと思う。
宇宙は非常に広く感じるが、そこに立つ人間はただただ無力で、たとえば宇宙船が壊れてしまえば死を待つしかない。広大な場にいるからここ常に死と隣り合わせというシチュエーションが、僕自身の高所恐怖症も相まって苦手意識を増幅させて、今に至るのだ–

そんな思いを持ちながら、以前傑作と名高い『ゼログラビティ』を観たが(しかもiMax/3D)、やはり感動よりも恐怖が上回って落ち着いて観れなかった。あの時当分宇宙はいいと懲りたはずなのに、高い評判に抗えずのこのこと鑑賞しに行ったのが本作である。

前段が非常に長くなってしまい恐縮だが、そんなわけで僕は宇宙もの映画がとても苦手なので、そのジャンルに当たる傑作などはほとんどスルーして生きてきた。
なので本作に出てくるイカしたキャラのモノリスや、やたら昔の特撮めいた宇宙船の各動作のシーンもどういったオマージュが込められているのか、なんとなくは分かってもほとんどが不明だ。
そんな感じで、本作は過去に撮られた宇宙もののリスペクトで溢れているのだろうが、そこへの感動を一切感じなかった人間の感想なので、筋違いなことを言ってたらすみません。

同監督のバットマンシリーズは好きだが、『インセプション』的な小難しい話だったら嫌だな、と思い観たが非常に真っ当なエンタメ作品だ。恐らく理系の専門用語も飛び交い硬派なSFに当たるのだろうが、100パー文系人間でもなんとなくは「分かった気にさせる」技術は素晴らしく、物語はスムーズに進む。
また宇宙が話の大きな基軸だが、それはあくまでモチーフに過ぎず、様々な人間ドラマがエモーショナルに描かれている。
一見何の映像か分からんものも、実は後半の伏線に繋がっていたりして、伏線好きな人にはたまらない、練りに練った脚本を味わうのと楽しみ方の一つだと思う。

ただこの物語そのものの精神性に乗っかれないと、この作品を肯定しきることが難しい。
「地球が壊滅の危機→他の星探して住もうぜ‼︎」という、なんというか非常にアメリカ的な発想が個人的には相容れなかった。

「大規模な砂嵐の発生で作物が育たない、唯一育つのは最早コーンのみだが、それがなくなるのも時間の問題。世界的な飢饉で人類が滅ぶのも時間の問題だ」という状況が作品世界の設定だが、疑問なのがこの未来では農業の技術はどうしてそこまで発達しなかったのかという点だ。

農業についてはよく分からんが、砂嵐を避けるために巨大なドームでも作ってその中でLEDライトとか使って野菜を育てないの? ていうかそうやって社内菜園している企業って現代日本にもあるよね?(←ニュースで見た)と、この設定に終始疑問符が浮かんでいた。

あと上にも書いたが「他の星への移住」という身勝手さに非常に違和感を感じる。とあるシーンで「生命体がいるが共生できる」的なセリフがあるのだが、果たしてその生命体にどう共生に合意してもらうのか。こう言ってはなんだが新大陸を見つけた時と発想が全く一緒で、おぞましく感じてしまった(この物語の主題はそれではないのは重々承知の上で)。

とまぁそんなこんなで胸に引っかかりを覚えながら3時間観ましたが、長さを感じさせず、最低限の登場人物で極限の人間の状態を描いたりしている部分は非常に良かった。
アン・ハサウェイのとあるシーンで非常にムキになりながら理屈ぽくマシュー・マコノヒーを説得するシーンがあるが、むしろ理屈を重ねるほど人間臭さがあらわになる様はとてもリアル。「頭のいい人ってこうやって感情表現するんだ…」と感心してしまった。

主演のマシュー・マコノヒーは最近『マジックマイク』や『ダラスバイヤーズクラブ』なんかの風来坊役ばかり観てたので2人の子持ちに見えないのが難点だったが、これは個人的なノイズだと思う(でも子持ちが持てない色気をスクリーン上で振りまいてたとも思うよ)。

作品としてはとても綺麗にまとまってるので、映画慣れしていない人が観たら映画の楽しさを知れる絶好の作品だと思う。
ただ「こういう欧米的な価値観が〜」みたいなことを言いだしそうなめんどくさい奴は誘わないほうが吉

2014年11月25日火曜日

0.5ミリ

★★★★★

俳優・奥田瑛二の長女で映画監督の安藤桃子が、実妹・安藤サクラを主演に起用した初の姉妹タッグ作品で、自身の介護経験から着想を得て書き下ろした小説を 映画化した人間ドラマ。介護ヘルパーの山岸サワは、派遣先の家族から「冥土の土産におじいちゃんと寝てほしい」との依頼を受ける。しかしその当日、サワは ある事件に巻き込まれ、家も金も仕事も全てを失ってしまう。人生の崖っぷちに立たされたサワは、訳ありの老人を見つけては介護を買って出る、押しかけヘルパーとして生きていくことになる。共演に柄本明、坂田利夫、草笛光子、津川雅彦ら。(http://eiga.com/movie/80677/より)

個人的には今年は邦画がかなり当たり年で、中でも本作はトップに位置する面白さだった。しかし邦画に関して言えばあまりにも有象無象の作品が多すぎるので僕自身が「自分好みの作品を嗅ぎ分ける嗅覚」を体得しただけなのかもしれない……

高知を舞台に繰り広げられるこの作品は安藤サクラ演じる介護士の視点を通じて、ゆくゆくはこの日本が行き着く先の未来を描いている。

息子たちの財産争いに悩まされる老人、コツコツ貯めた金を怪しい投資に持ちかけられる老人、痴ほうの妻に悩まされる老人……
全員が社会への居心地の悪さを抱き、孤独感を感じている。

その老人の元へ安藤サクラ演じるサワはほとんど押し掛けるかたちで介護にいそしむ。
正直そのコミュニケーション能力、家事スキルがあれば別の仕事や果ては良き主婦にでもなれそうなのに、彼女はなぜか「老人の介護」にこだわる。

そして彼女のキャラクターの魅力の凄まじさ。
大げさな表現になるかもしれないが、もはや神聖な雰囲気すら感じてしまう立ち居振る舞いだ。
一見すると老人の弱みに付け込んでは家に住み着いているようにしか見えないのだが(つまりは恐喝です)、彼女が行うととてもコミカルで笑えてしまう。無邪気さに惹かれるのだろうか。
介護にこだわる理由や、彼女の雰囲気に関しては後々の展開で納得させられるシーンがあるのだが、そこに見える悲しさもいいと感じてしまう。

シーンの画も一つひとつが丁寧で、監督の映画愛が感じられるシーンもチラホラ。
何より監督と主演の姉妹の母親がフードコーディネーターを行っており、サワの作るご飯は半端なく美味そうだ。食にほとんど興味がない僕が反応するくらいだから、相当のことだと思う。

老人を演じた俳優陣も多種多様に素晴らしかったが、津川雅彦の独白(パンフレットには7分間とある)が凄まじかった。
ネタバレになってしまうので伏せるが「アルツハイマーで自分の記憶を無くしても、戦争については忘れられない」ことが見る側からすると本当に衝撃だ。

原作本を読んでいなかったので読む楽しみも増えた。感謝したい。

2014年11月24日月曜日

ザ・レイド GOKUDO

★★★★

インドネシア発のバイオレンスアクションとして話題となった「ザ・レイド」の続編で、今作では、警察と政界支配を目論むアジアンマフィア、そして勢力拡大を狙う日本のヤクザの三つ巴の戦いを描く。上層部の命令を受け、潜入捜査官として生きることになった新人警官のラマは、名前を偽り、マフィアのボスの息子 ウチョの信頼を得て組織の一員になる。しかし、父親に反発するウチョが組織内で成り上ろうと企てた陰謀により、ラマは対立する日本人ヤクザとの抗争や果てしない戦いに巻き込まれていく。監督は前作に引き続き、イギリス出身でアジアを拠点とするギャレス・エバンス。松田龍平、遠藤憲一、北村一輝らが日本人ヤ クザとして出演。(http://eiga.com/movie/78171/より)

前作がヤクザマンションで繰り広げられるクローズド・アクションもので上映時間105分というシンプルな構成だったのに対し、今作はなんと上映時間は146分。これだけで作品の方向性がかなり違うだろうなと感じていたが予想以上に別物の映画となっていて驚いた。

まず今作は序盤の導入が長い。具体的には主人公が潜入捜査官になりマフィアのドラ息子に取り入るまでの流れだが、上記のあらすじを読んでおけば始めの30分は寝ていてもOK、といった感じだ。

一方でアクションはかなり多彩になっており、主人公も潜入捜査官=表向きはマフィアの用心棒なのを良いことに襲ってくる敵はほとんど殺してしまってる。
前作の「誰が死ぬのか分からない」緊張感も捨てがたいが、今作の街中でのバトルも相当に面白い。カメラアクションが秀逸で一瞬どのアングルで撮られているのか分からないシーンが多いのだが、これは吹っ飛ばされた人が「自分がどこにいるのか」を分からない様を上手く表現している。

そして最高なのが物語後半のカーチェイスシーン。ありとあらゆるアイデアで、出てくる人物全員が徹底的に痛めつけられており、もはやギャグとなっているが人間の発想力の素晴らしさたるや! といった内容。

敵陣営もバットとボールでノックの容量で人を殺す背の低い男や、鋭利なハンマーで殴っては切り裂く聾唖の女、と一昔前のマンガみたいな設定のキャラが平気で出てくるが、画づくりの説得力で見る側は納得してしまうのもこの映画の魅力。

ただ正直このシリーズに脚本を求めているかと言われると1ミリも求めていなく、凝ろうとしているのは分かるが相当面白くない+分かりづらかった。
日本からの俳優もスポンサー枠感が尋常じゃなく、ミスリードな邦題も最悪。

次があるのならヤクザの徹底参戦+原点回帰のクローズドアクションを楽しみたいけど……この条件を満たすとなると『殺し屋1』の実写化になってしまう!!
 

2014年11月23日日曜日

『フラテルニテ』体験版をやってみて

 

はじめに

アダルトゲームを初めてやりました。(といっても体験版ですが…)
以前から『ユーフォリア』なる作品が面白い、と聞いてたのだけどなかなか購入するハードルが高く……。
時期を逃していたら、『ユーフォリア』と同じレーベルからの最新作が本作『フラテルニテ』だとのことで、体験版をダウンロードした次第です。

なにぶん初めてのエロゲープレイは新鮮で(ビジュアルノベルはいくつかプレイしましたが)、プレイしていて少し思ったことがあったので、ここに書き留めておこうかと。
ブラックな就労環境で更新が覚束ない中、久々の更新記事がエロゲーの記事という末期具合にドン引いている方、ごめんなさい。



ユーザーからの低評価









まずはじめに得た情報が、前作『ユーフォリア』(というと語弊があるかもだけど)の評価が軒並み高いのに対して、『フラテルニテ』はあまり高くないということ。とはいってもエロゲーのレビューサイトなんて見たこともないし知らないので、情報源はAmazonのレビューなんだけども。

要因は色々あるようなのだが、僕自身ネタバレを避けながら読んでいるので分かったことといえば「シナリオが短い」「救いがない」「スカ◯◯がエグい」など。これらは『ユーフォリア』と比較したユーザーがそういった結論に至ったようです。

そうなると『ユーフォリア』をやっていないし、できれば『ユーフォリア』のネタバレも読みたくない人間にとっては評価が低くてもフラットに本作をプレイできるな、と感じチョロっとやってみた次第です。


ゲーム本編(といっても体験版だけ)

プレイ前はメガネの委員長が好みでした(今は特になし)
















※体験版しかプレイしていないのであくまでそこから汲み取れるものしか書いていません。体験版以降の展開により本編に違いがある場合はごめんなさい。

本作のあらすじを紹介すると、強姦被害にあった主人公の姉が「住み慣れた街から離れたい」と家族に言ったことを機に新しい街へ引っ越し、その引っ越し先にある新興宗教的な組織に姉が入れ込んでしまい、そこから姉を助け出したいが苦悩する主人公の奮闘……といった感じです。

なぜ主人公が苦悩するのか? というと実は彼の転校先の学校の知り合いのほとんどがその新興宗教に入れあげており、自分の協力者がいないからです(別に引っ越し先の街全体がその宗教に染まっているわけではなく、あくまで主人公の周りのクラスメイトたちだけのよう。ちょっと御都合主義ですね)。

その新興宗教がまたトンデモカルト集団で、(まぁエロゲーなんで当然の展開なんですが)ほぼ乱行サークルなんですね(しかも大麻的なのを焚きながらブッかましてるっぽい)。
その組織を仕切っているのが50代くらいの見た目は温和な紳士なんですが、いざそのシーンになると調教口調になってすんげーキモい。その時だけおっさんの音声がオフになるのは制作サイドの配慮みたいだけど、そもそもシチュエーション的に「無理!」と思い僕は高速クリックでやり過ごしました。

そこで強姦被害にあい、心を傷付けたはずの姉が見知らぬおっさんと行為に及んでいる様を主人公が見てしまい(それ以上のトンデモ展開になりますが、詳しくは体験版で!)、当然ながら困惑するのですが、メインヒロインぽい登場人物から言われるとある一言が強烈です。
「あの人たちはセックスをすることで幸せになれる。大勢の人の前で不特定多数の人と行為に及んで悦ぶ姿は、社会的には相応しくないのかもしれないけど、そこで幸せを得ている人たちからその権利を奪う自由があなた(主人公)にあるの?(かなり意訳です)」

「それでも俺は姉さんを救いたい!」と主人公は言うのですが、画面向こうの僕としてはとてもはっとさせられた気分になりました。このやり取りに実は本作のテーマがあるのでは? と思ったのです。

好きなものを楽しむ自由


制作サイドが意図しているか分かりませんが、これは言わばエロゲーファン的な「(世間から見ると)インモラルな趣味を楽しんでいる人たち」へも通ずる考えであるな、と思いました。
どういうことかというと「はたから見ると気持ち悪いものは犯罪につながるから根絶だ!」という流れの中で、ゲームやアニメが規制対象にされかねない現状と、この主人公の考える「常識」と、現に救われている人がいる「新興宗教」の関係に非常に似ていると感じるわけです。

モラルに囚われるだけじゃ救われない人間が一定数いる。他人に迷惑をかけなきゃ個室の中でくらい逸脱させてくれ。それで人生が(広義の意味で)救われているのだから。

しかしこの物語にエロゲーをやっているユーザーを当てはめると、「新興宗教」側の人間になってしまう。一方ユーザーは主人公目線、つまり「規制する側」としての目線でゲームプレイをします(実は群像劇タッチなので視点はシーンごとに他のキャラになったりもするのですが…あくまで物語全体の目線の話です)。
そうなると無意識的にこのゲームのストーリー(というかメタファー?)に拒否反応を起こしてしまうのでは、とエロゲー童貞の僕は感じました。

でもこうやって考えてみると、この作品は非常に面白い問題提起をしているんだなと感じます。そうなると「救いのない物語=規制のない世界」は実はユーザーにとっては「ある意味での救いの物語」になるんじゃないか…みたいな逆転現象が起こりうるわけで。

たとえばエロゲー好きのタカシくん(30歳・童貞)が親戚のおっさんに「タカシくん、いつまでもアニメの女の子に欲情してないでいい加減結婚しなさい!」みたいな説教をかまされたら当然「余計なお世話だよ!」と怒るわけです。
これだけならまだしも「あいつは小学生好きのヤバいやつだ…」みたいな風評被害が回ったらそれこそたまったもんじゃないです。

個人の嗜好の話と『フラテルニテ』 の物語を同じ次元で話すなよ、と突っ込まれそうですが極限まで突き詰めると地続きである、と言い切っても過言じゃない。
現に主人公に対し姉が「あなたがどう思っていても、サークルの迷惑になるような噂を撒かないでね!」と怒るシーンがあります。
彼女も世間一般から見れば後ろめたい行為を自分がやっている、ことは認識しているわけです。

ですがそれについて迷惑している人はいない、むしろ救われていると思っているからこそ自分のコミュニティを守りたい、昨今の2次元コンテンツ産業の象徴のような構図になっているようでとても切なくなりました。

そして…

ここまで長い文書いておいて、一つ問題なのが「お前は製品版を買うのか問題」なのですが、正直なところ非常に迷っています。
これがハードカバーの本で2千円くらいのものであれば即買いなのですが、エロゲーって高えのな。
PS4のゲームソフトくらいの値段がするので、まず財布的な問題で迷っています。

もう一つが「買うことで一線越える感あるな」的な話です。僕自身アニメは好きだし、ゲームもちょくちょくやるし、多分これよりハードコアな小説も読んだことあるし、、と考えれば「いけるやん!」ってなると思うのですが、踏ん切りが付かず……あと、あのショップの独特な雰囲気に気圧されます(「店には行ってんのかい!」には「はい。」と潔く答えます。ちなみにソフマップです)。
まぁこれはTSUTAYAののれんゾーンも似たようなもんか……。

皆さんにはこのブログにプレイ後記事が上がったかどうかで判断していただければ…と思います。
ちなみにこの記事、非常にまじめなタッチで書きましたが、実際プレイすると思わず笑っちゃうシーンが多いです。洗脳されたことを過剰に表現する演出なのかもしれませんが、そこを含めて笑っちゃいます。

ちなみに検索をかけていたら開発者インタビューに引っかかり…。
あくまでも「実用ゲー」とのこと
まぁ価値観は人それぞれですから。

2014年4月12日土曜日

それでも夜は明ける

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
★★★★
 
86回アカデミー作品賞受賞作。南部の農園に売られた黒人ソロモン・ノーサップが12年間の壮絶な奴隷生活をつづった伝記を、「SHAME シェイム」で注目を集めたスティーブ・マックイーン監督が映画化した人間ドラマ。1841年、奴隷制度が廃止される前のニューヨーク州サラトガ。自由証明書で認められた自由黒人で、白人の友人も多くいた黒人バイオリニストのソロモンは、愛する家族とともに幸せな生活を送っていたが、ある白人の裏切りによって拉致され、奴隷としてニューオーリンズの地へ売られてしまう。狂信的な選民主義者のエップスら白人たちの容赦ない差別と暴力に苦しめられながらも、ソロモンは決して尊厳を失うことはなかった。やがて12年の歳月が流れたある日、ソロモンは奴隷制度撤廃を唱えるカナダ人労働者バスと出会う。アカデミー賞では作品、監督ほか計9部門にノミネート。作品賞、助演女優賞、脚色賞の3部門を受賞した。(http://eiga.com/movie/79401/より)
 
黒人奴隷の映画、ということで週末に娯楽を求めて観るものでは当然ないとは頭では分かっていたが、やはり特定の人種や民族が虐げられる映画を観るのはしんどい……(タランティーノの『ジャンゴ』ですらもキツかった)。
 
黒人の奴隷の歴史に関してはほとんど無知だが、時代が時代ならこうも人は残酷になれるのかという部分をまざまざと見せられる。とは言ったものの、今もYahoo!ニュースのコメント欄や匿名掲示板で特定の人種へのヘイトは脈々と続いている。人間の営みの暗部なのだろう。
 
映画としては奴隷として売られた主人公がひたすら絶望的な目に遭う挿話がこれでもかと盛り込まれており、感動というよりはやりきれない気持ちが涙を誘う。
 
出資者としても名を連ねるブラッド・ピットは、「彼がプロデュースを名乗り出なかったら本作の制作はかなわなかった」と言わしめるくらいの功労者なので、当然ながらハンパなくいい役で出演している。
 
彼の登場が物語のターニングポイントなのだが、正直唐突過ぎる印象はあった。
 
…なんだかえらく淡白な感想になってしまったが、一つひとつの挿話は衝撃的なのだが物語の終わり方にもタイトルのような希望を抱くことも難しい、ひたすら心に重く残る一本。

2014年3月5日水曜日

キック・アス ジャスティス・フォーエバー

★★★★☆

オタクな高校生がヒーローとして立ち上がる姿を描いたマーク・ミラー原作のコミックを映画化し、口コミで評判が広まり全米大ヒットを記録した「キック・アス」のシリーズ第2作。キック・アス、ヒット・ガールというヒーローの姿を捨て、普通の学園生活を送っていたデイブとミンディ。しかし、卒業がせまり将来について考えたデイブは、スーパーヒーロー軍団を作り、世界の平和を守ることを決意する。キック・アスの活躍に触発された元ギャングの活動家スターズ・アンド・ストライク大佐とともに「ジャスティス・フォーエヴァー」を結成したデイブだったが、そんな彼の前に、打倒キック・アスを誓うレッド・ミストがマザー・ファッカーと名を改め、悪の軍団を率いて姿を現す。主演のアーロン・ジョンソン、クロエ・モレッツ、クリストファー・ミンツ=プラッセも続投し、ストライプス大佐役でジム・キャリーが新たに参加。前作を手がけたマシュー・ボーンは製作にまわり、「ネバー・バックダウン」のジェフ・ワドロウ監督がメガホンをとった。(http://eiga.com/movie/79094/より)

ヒーローものの作品は回を重ねるといずれは「正義とはなんであるか」といった難しい問題に直面し、結果作品初期の雰囲気を維持できぬまま深刻な展開になってしまうものが多い。

本作はオタクな主人公とマンガみたいな設定の(そりゃ原作はコミックだが)美少女殺し屋のキャラを生かしたポップで馬鹿馬鹿しい、ただ暴力描写はリアルという僕の弩直球の作品だけに、2作目はそういった雰囲気に陥って「キック・アスらしさ」を損なわないか心配していた。

しかし本作、監督が変わったといえど「キック・アス」のブランドをブラすことなく、シリアスなテーマも見事に描き切ったと思える。スカッとしたい人には申し分のない作品だ。

正直デイブの葛藤よりも、やはり僕らのアイドルヒットガールことミンディちゃんの思春期ゆえの戸惑いの方に鑑賞のウェイトを置いてはいたのでよく覚えていないが、それでも主人公としてよく頑張ってたと思う(適当)

今回はヒーロー(という名の暴力コスプレ集団)が数多く出てきて非常に面白い。
どのヒーローにもネタ元があるのだろうか? そこらへんも確認していきたい(「オペラ鑑賞の帰りに両親を殺された」はさすがに分かったが)何よりもやはりジム・キャリー扮する大佐のキャラが強烈かつ人間味あふれる男なので是非マフィア時代からヒーローに目覚めるまでのスト―リーをスピンオフ化してもらいたい!

あとは主役二人の通う高校の描写も面白い。ワン・ダイレクション風なアイドル(のMV)に高校のクイーンビー的立ち位置の女が欲情するシーンや、いかにもモテそうな男はスタジャンを来てたりなどステレオタイプ過ぎるが、ベタなシーンでも笑わせる技術はさすがじゃないでしょうか。